大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和29年(あ)2245号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を仙台高等裁判所に差戻す。

理由

弁護人菊地養之輔の上告趣意について。

論旨第一点は事実誤認の主張であり、同第二点は憲法三八条違反をいうけれども、原判決は、所論被告人に対する司法警察員の第一回供述調書は強制による自白ないし任意性なきものとは認められない旨判示しているのであるから、所論は原判決の右認定を非難する事実誤認の主張、並びに単なる訴訟法違反の主張に帰するのであって、いずれも刑訴四〇五条の上告理由に当らない。

被告人の上告趣意について。

所論も右と同様の理由により、結局事実誤認、単なる法令違反の主張に帰し、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。

しかしながら職権により調査すると、原判決は、判決に影響を及ぼすべき法令違反があるとして第一審判決を破棄し、自判するにあたり第一審判決の事実認定は概ねこれを支持し、罪となるべき事実として「被告人は酒癖を有し、酩酊すると乱暴をし、特に障子や襖を手拳で突破ったりする癖があるものであるが、昭和二七年一二月六日午後九時頃既に相当酩酊の上かねて情交関係のあった高橋アヤ子に会うべく、アヤ子が女中として奉公していた岩手県稗貫郡花巻町(現在花巻市)大字南万丁目第一四地割六六番地の四飲食店姫の家こと押切正吉方に赴いたが、更に清酒約七合を飲んで酩酊を重ねた結果、その際アヤ子の態度が冷淡であったことに立腹し、酒癖を発揮し鬱憤をはらすため同家に放火すべく決意し、直ちに(翌七日午前一時二〇分頃)人の現在する右押切方二階西端の六畳客室(梅の間)の東側北端襖の中央部を手拳で突破った上、その個所に所携の燐寸で点火して放火したのであるが、間もなく家人に発見消止められたため右の襖一枚の一部を焼燬し、その上部の長押の一部を燻焦しただけで、右建物焼燬の目的を遂げなかったものである。」との放火未遂の事実並びに右犯行当時被告人は酩酊のため心神耗弱の状態に在った事実を認定し、その証拠として多数の証拠の標目を挙示している。さらに、原判決は右事実認定に先だつ部分において、(一)「本件の放火は何人かが特に右襖に点火したこと以外にはその原因を考えられない」こと、(二)「高橋立子が二階に上った後発火したという如きことではなかった」こと、(三)「菊地サダと立子が相次いで松の間から降りた後立子が電灯を消すために二階に上るまでの間、被告人以外の者は誰も二階に上らなかったものである」こと、(四)「サダと立子が相次いで階下に降りて被告人が唯一人二階に残った後階下にいた家人は、被告人が二階で廊下を通り、梅の間の方に行き、次いで松の間に戻り、それから階下に降りた足音を聞いているのであって、被告人が二階から降りる直前梅の間に入ったこと」をそれぞれ認定した上、「以上の各状況は、それのみでも本件火災が被告人の放火に因って発生したものであることを推測するに十分であって、それらが被告人の司法警察員に対する第一回供述調書、検察官に対する弁解録取書、勾留尋問調書等の被告人の自白と照応し相俟って原判示放火の事実を確認するに足る」としているのである。

しかるところ、右(三)の、サダと立子が松の間から階下に降りた後立子が二階に上るまでの間、被告人以外の者は誰も二階に上らなかったとの認定の当否を検討するに、(1)第一審における受命裁判官の第一回検証調書及び原審裁判所の検証調書の各記載に徴すれば、姫の家階上の電灯は、松の間・竹の間・梅の間に各一個と廊下と便所に各一個設けられ、これらの点滅は便所の分を除いてはすべて階下無名の間南側三尺の壁間にはめられているスイッチによって操作するようになっており、(2)一方原審の右検証調書中、立会人押切正吉、同高橋立子の各指示説明並びに原審証人押切正吉、同高橋立子の各供述記載によれば、立子が二階に上った際も、急を聞いて押切が二階に上った際も、便所以外の階下各室及び廊下の電灯は消えていたことが認められ(第一審における受命裁判官の第二回検証調書中の記載によれば、同家階上各室の廊下側上部は壁造りで室内の光線が漏れない構造になっているが、押切の指示説明によれば各室の廊下側襖は開いていたということであり、立子によれば閉っていたということでくいちがっているけれども、いずれにしても室内に電灯がついておれば襖の隙間から光は漏れる筈であり、それに廊下も暗かったというのであるから、当時二階が消灯されていたことは間違いない。)、(3)原審証人菊地サダの供述記載によれば、平常客が帰れば女中が跡片付けをするのであり、遅いときは菊地サダや押切正吉がすることもある、跡片付けが終ってから便所以外の二階の電灯を消すようにしているが、その晩は誰が消灯したのか判らないというのであり、(4)当夜初めて客となり勝手知らない被告人が消灯したとは考えられないところである。以上の諸点を考えあわせると、被告人が二階から降りてくるのを見て誰かが消灯したと認められる証拠の存在しない限り、被告人が二階から降りた後立子が二階に上るまでの間に、家人の誰かが跡片付その他なんらかの事情で二階に上ったものと推認するのがむしろ相当である。要するに誰が最後に跡片付をしたか、誰が消灯したかを明確にする必要があるにかかわらず、原審の取調によってはこの点なんら明確にされていない。

また、原審の前掲検証調書の記載に徴すれば、被告人が唯一人二階に残った後、階下にいた家人が階上にある被告人の動静を原判示のように明瞭に看取しえたかどうかは疑いなきをえないところであって、この点に関する押切正吉、藤原アイ、高橋立子の司法警察員に対する各第一回供述調書の記載は右検証調書の記載に徴してたやすく信用し難い。果してしからば、原判決が被告人の放火を推測する根拠は既にまことに薄弱であるというべきである。

次に、原判決は被告人の本件放火の動機及び縁因を高橋アヤ子の冷淡と被告人の酒癖とに帰し、これらを根拠として被告人を犯人とすれば当然生ずべき疑問(アヤ子に対する憤懣の故に押切所有の家屋に放火することの不合理、被告人の発火後の放言その他の行動)をそうでないと割切っているけれども、原審証人高橋立子の供述記載によれば、被告人は飲酒の際朋輩の面前で高橋アヤ子を盗みの廉で難詰し、同女が口答えをしたのを怒って同女を打つべく室内を追いかけた事実は認められるけれども、被告人が未練から同女を口説くためであったという関係は認められないのである。また、原判決認定の被告人の酒癖についてもその証拠は主として原審証人高橋アヤ子の供述に依拠するものであるが、同証言は記録によって窺われうる同女の盗癖、虚言癖に徴して未だにわかに信を措き難い。

さらに、原判決が前掲推測と相俟って被告人を犯人であると認定した被告人の自白調書を検討するに、(一)昭和二七年一二月八日附司法警察員菅梧郎に対する第一回供述調書によれば、咄嗟的に悪心を起して襖に火をつけておどかしてやろうと思ってやった旨供述しており、(二)翌九日附検察官大島淑司に対する弁解録取書によれば、高橋アヤ子の冷淡と結婚の申込を応諾しなかったことを憤慨しアヤ子の勤めている姫の家を焼いて恨をはらそうと決意し、アヤ子が階下に下りた隙に襖に火をつけた旨供述しており、(三)その翌一〇日附裁判官上野正秋に対する陳述録取調書には、事情は検察官の所で述べたとおりである旨陳述している。なお、同年同月二六日附検察官に対する供述調書によれば、放火とも失火とも要領をえない供述をしている。被告人は第一審以来終始犯行を否認し、前記(一)の司法警察員に対する供述調書の任意性を争っており、第一審公判においては、右任意性立証のため検察官申請の証人菊地忠一、同菅梧郎の両名(いずれも取調べに当った当の司法警察員)を取調べ、いずれも強制拷問等の存在しない旨の供述をえている。しかるところ、原審弁護人泉国三郎は控訴趣意において右供述調書は拷問により作成され不任意の自白である旨主張し、事実の取調に入るや昭和二九年二月二三日附書面をもって、別件で取調べられた際菊地忠一、菅梧郎から暴行を受けたことを立証する証人として多田久穂、畠山靖己、畠山忠を、また被告人の取調べ中その主張の如き強制暴力を受けたことの目撃証人として司法巡査佐藤善邦の各尋問を求めたのに対し、原審は同年三月九日右決定を留保したが、弁論終結の同年四月二〇日の公判において右請求をすべて却下したことは記録に徴して明らかである。しかして原判決は、被告人が検挙後短時日の間に自白を繰返していることと第一審証人菅梧郎、同菊地忠一の供述記載とを綜合して右自白の任意性を認めるに十分であるとしているけれども、右各自白の趣旨は前叙の如く必ずしも一致しているものとは認められず、検挙後短時日の間に自白を重ねたからといってそのことから直ちに強制の事実なしというをえないばかりでなく、前記両証人の供述内容は被告人の具体的事実を挙げての発問に対しただ抽象的形式的に強制の事実を否定するのみで心証形成に資するところ極めて乏しいといわなければならない。加うるに犯罪事実の認定についても疑問の余地ある本件の如きにあっては、原審としては須らく右供述調書の任意性調査のためなお一段の審査を遂げなければならないものと考えられるのである。しかるに被告人側の右証拠申請をすべて却下し、また職権による調査も行うことなくたやすく右供述調書の任意性を肯定した原判決は、この点において審理不尽の違法あるものといわなければならない。

要するに原判決には判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認を疑うに足る顕著な事由並びに判決に影響を及ぼすべき審理不尽の違法があって、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。

よって刑訴四一一条一号、三号、四一三条に則り原判決を破棄し、本件を原審仙台高等裁判所に差戻すべきものとし、主文のとおり判決する。

この判決は全裁判官一致の意見である。

(裁判長裁判官 栗山 茂 裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 池田 克)(裁判官 谷村唯一郎は差支)

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